「仏壇だけは、どうしても処分できないんです。」
そう話されたのは、名古屋市内にある築50年の実家を相続された60代の女性でした。
ご両親が亡くなり、誰も住まなくなった家。
売却を前提に遺品整理を進めていましたが、一つだけ手が止まっている場所がありました。
それが仏壇でした。
家具は処分した。
衣類も整理した。
食器も片付けた。
アルバムも持ち帰った。
しかし仏壇だけは最後まで残っていたのです。
私はこれまで数多くの空き家や相続不動産に携わってきましたが、不思議なことに、仏壇の前では多くの方の時間が止まります。
タンスは処分できる。
テレビも捨てられる。
古い布団も処分できる。
けれど仏壇だけは違うのです。
そこには単なる家具ではない、家族の歴史があるからです。
毎朝聞こえていた鈴の音
その女性は仏壇の前に座りながら話してくださいました。
「子どもの頃、毎朝母がお参りしていたんです。」
チーン。
小さな鈴の音。
お線香の香り。
学校へ行く前に聞こえていた音。
当たり前だった日常。
しかし今思えば、その音こそが家族の始まりだったのかもしれません。
母がいて。
父がいて。
兄弟がいて。
家族全員が同じ屋根の下で暮らしていた時代。
仏壇を見ると、その頃の記憶が一気によみがえるそうです。
空き家になった実家
両親が亡くなった後、実家は空き家になりました。
最初は定期的に通っていました。
草を刈る。
換気をする。
掃除をする。
しかし仕事や家庭の事情もあり、徐々に足が遠のいていきました。
気が付けば数年。
家は少しずつ傷み始めていました。
雨戸を閉めたままの家。
誰もいない居間。
止まった時計。
そして仏壇だけが、昔と変わらずそこにありました。
売却を決意した日
空き家を維持することは簡単ではありません。
固定資産税。
修繕費。
草刈り。
近隣への配慮。
さまざまな負担が続きます。
悩んだ末、ご家族は売却を決断されました。
遺品整理も順調に進みました。
しかし最後まで残ったのが仏壇でした。
「ご先祖様を捨てる気がする」
女性は静かに言いました。
「仏壇を処分するのって、ご先祖様を捨てるみたいで…。」
私はこの言葉を何度も聞いてきました。
仏壇じまいで悩まれる方の多くが同じことを言われます。
実際には違います。
仏壇を整理することと、ご先祖様への感謝を失うことは別です。
けれど感情は理屈ではありません。
長年そこにあったものだからこそ、簡単には割り切れないのです。
お寺での閉眼供養
ご家族は菩提寺へ相談されました。
そして閉眼供養を行うことになりました。
魂抜きとも呼ばれる儀式です。
住職がお経をあげます。
家族が手を合わせます。
静かな時間が流れます。
その日、ご家族は久しぶりに全員が集まりました。
県外に住む兄。
妹。
孫たち。
仏壇がなければ集まることもなかったかもしれません。
父の写真を見ながら
供養の後。
仏壇に飾られていたお父様の写真を見ながら、ご長男が言いました。
「親父、頑固だったよな。」
妹さんが笑います。
「お兄ちゃんもそっくりだけどね。」
久しぶりの笑い声でした。
それまで重かった空気が少しだけ和らぎました。
私はその様子を見ながら思いました。
仏壇は亡くなった人のためだけにあるのではない。
残された家族をつなぐ場所でもあるのだと。
仏壇じまいは終わりではない
供養が終わり、仏壇は搬出されました。
長年そこにあった空間がぽっかり空きます。
女性は少し寂しそうでした。
しかし不思議と表情は穏やかでした。
「ようやく前へ進める気がします。」
そう話してくださいました。
家はなくなっても
その後、実家は売却されました。
新しい所有者が決まりました。
長年家族を見守ってきた家は、役目を終えました。
けれど仏壇じまいをしたことで、ご両親との思い出が消えたわけではありません。
むしろ家族の中で改めて語られるようになったそうです。
空き家マイスターとして感じること
空き家の売却相談を受けていると、多くの方が不動産の話をされます。
査定額。
税金。
相続手続き。
解体費用。
もちろん大切な話です。
しかし実際に足を止めるのは、数字ではありません。
仏壇。
アルバム。
父の書斎。
母の台所。
そこにある思い出です。
家は建物です。
しかし実家は人生そのものです。
だから売却できても、気持ちの整理が追いつかないことがあります。
まとめ
仏壇じまいは、仏壇を処分することではありません。
ご先祖様との縁を切ることでもありません。
それは、
「感謝を持って一区切りつける時間」
なのだと思います。
空き家の売却現場で、私は何度もその瞬間に立ち会ってきました。
涙を流す方もいます。
笑顔になる方もいます。
どちらも間違いではありません。
それぞれが、それぞれの形で家族の歴史と向き合っているのです。
空き家マイスターが見た人生の物語
仏壇が運び出された後の部屋は、とても静かでした。
けれど不思議と寂しさだけではありませんでした。
そこには、
やるべきことを終えた家族の安堵と、
ご先祖様への感謝が残っていました。
仏壇じまいとは、終わりではありません。
残された家族が前を向いて歩き出すための、新しい始まりなのかもしれません。
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