実家が空き家になって、もう四年が過ぎていた。
父が亡くなり、その二年後に母も亡くなった。
それ以来、家には誰も住んでいない。
駅から少し離れた、古い住宅街の一角。
築五十年を超えた木造住宅だった。
私は月に一度ほど、その家へ行く。
郵便受けを確認し、庭の草を抜き、窓を開けて風を通す。
それだけのために。
正直に言えば、もう維持は難しかった。
屋根も傷んでいる。
雨どいも外れかけている。
外壁にはひびが入り、庭木は毎年大きくなる。
固定資産税もかかる。
空き家を放置すれば、近隣へ迷惑がかかることも知っていた。
私は不動産売却の仕事をしている。
だからこそ、空き家を長期間放置する危険性も理解していた。
本来なら、もっと早く整理するべきだったのだと思う。
売却するか。
解体するか。
決めなければならない。
頭ではわかっている。
だが、どうしても動けなかった。
理由は単純だった。
壊せないのだ。
この家を。
玄関を開けるたび、私は今でも少しだけ息を止める。
誰もいないはずなのに、そこにはまだ家族の気配が残っているからだ。
下駄箱。
父の傘。
母のスリッパ。
居間の時計。
仏壇。
どれも時間が止まったまま、静かに残っている。
人がいなくなった家には、不思議な空気がある。
静かなのに、完全には空っぽではない。
そこに暮らしていた人の気配だけが、薄く漂っている。
私は時々、居間で一人座る。
すると今でも、母が台所に立っている気がする。
味噌汁の匂い。
包丁の音。
テレビの音。
父が新聞をめくる音。
そんな記憶が、急に蘇る。
もちろん実際には誰もいない。
それでも、「まだ親がいる気がする」のだ。
だから実家を壊せない。
空き家相談を受けていると、同じことを話す人は多い。
「親の家を壊すのは申し訳ない」
「売ったら親不孝な気がする」
「まだ帰ってきそうで…」
他人から見れば、ただの古い家かもしれない。
しかし本人にとっては違う。
そこには人生がある。
家族の時間がある。
だから空き家問題は難しい。
単なる不動産問題ではない。
感情問題なのだ。
私はそう思っている。
実際、多くの人は現実を理解している。
維持費がかかることも。
管理が大変なことも。
放置リスクも。
それでも動けない。
感情が止めるからだ。
特に日本人は、「家」に特別な意味を持っている。
欧米では家は比較的“住み替えるもの”という感覚が強いと言われる。
しかし日本では違う。
実家とは、「帰る場所」なのだ。
お盆。
正月。
仏壇。
先祖。
家族写真。
日本人は昔から、家と家族を強く結びつけてきた。
特に昭和世代にとって、「家を建てる」ということは人生そのものだった。
父は住宅ローンを払い続けた。
母は毎日掃除をした。
庭木を育てた。
家族を守るために、その家を維持してきた。
だから子ども世代は、その家を壊すことに強い罪悪感を抱く。
「親が頑張って建てた家を、自分の代で終わらせていいのか」
そう感じる人は本当に多い。
私もその一人だった。
父は無口な人だった。
仕事ばかりしていた。
だが日曜日になると、庭の草を抜いていた。
雨どいを掃除し、壊れた網戸を直し、家を丁寧に扱っていた。
私は子どもの頃、それを何とも思っていなかった。
だが今、自分が実家を管理する立場になって初めてわかる。
父は家を守っていたのだ。
家族の場所を。
だからこそ、解体という言葉が重かった。
まるで父の人生を終わらせるような感覚があった。
実際、空き家相談では「親不孝感」に苦しむ人が多い。
売却を決めたあと、涙を流す人もいる。
解体現場を見られない人もいる。
中には、「近くを通れなくなった」と話す人もいた。
私はその気持ちがよくわかる。
家は、ただの建物ではないからだ。
思い出の器なのだ。
だから壊す時、人は単なる建物解体以上の苦しみを感じる。
それは、「思い出を捨てる感覚」に近い。
特に実家には、人生の原風景が詰まっている。
玄関の傷。
柱の落書き。
畳の匂い。
夕飯の音。
雨の日の静けさ。
そういう小さな記憶が、家には積み重なっている。
だから解体とは、記憶に触れる作業なのだ。
私は以前、実家を解体した女性から、こんな言葉を聞いたことがある。
「更地になった時、本当に親がいなくなった気がしました」
その言葉が忘れられない。
親が亡くなった時よりも、実家がなくなった時のほうが現実を感じたという。
私はそれを聞いた時、妙に納得した。
人は、「場所」に感情を残す生き物なのだと思う。
実家が残っている間、人はどこかで「まだ帰れる」と感じている。
しかし家がなくなると、その感覚が消える。
だから苦しい。
だから壊せない。
空き家問題の本質は、そこにあるのだと思う。
日本では今、空き家が増え続けている。
人口減少。
少子高齢化。
地方衰退。
理由はいくつもある。
だが私は、それだけでは説明できないと思っている。
本当は、多くの人が感情で止まっているのだ。
売れないのではない。
壊せないのだ。
実家を終わらせる決断ができない。
それほど、日本人にとって「家」は特別な存在なのだと思う。
しかし同時に、向き合わなければならない現実もある。
空き家は維持するだけでも大変だ。
誰も住まない家は急速に傷む。
雨漏り。
湿気。
シロアリ。
雑草。
倒壊リスク。
近隣トラブル。
時間が経つほど、問題は大きくなる。
だから私は、「無理に残してください」とは言わない。
だが、「早く売ったほうが得です」とも言いたくない。
大切なのは、その人自身が納得することだと思っている。
感情を無視して進めても、後悔は残る。
だから必要なのは、まず気持ちを整理する時間なのだ。
家族で話す。
思い出を共有する。
写真を残す。
仏壇をどうするか考える。
そういう時間が必要なのだと思う。
実家を壊すことは、親を捨てることではない。
思い出を否定することでもない。
むしろ、向き合うことなのかもしれない。
親が生きていた時間を受け止め、その上で前へ進む。
それが「実家じまい」なのだと思う。
私もまだ、完全には整理できていない。
今でも実家へ行くと、少しだけ安心する。
誰もいない家なのに、「帰ってきた」と感じる。
それくらい、家は人の心に深く残る。
だから空き家問題は難しい。
合理性だけでは解決できない。
感情を理解しなければ、本当の意味で前へ進めない。
私はこれからも、不動産売却の仕事をしながら、その部分を大切にしたいと思っている。
単に「売る」のではなく、その人の人生や家族の記憶にも向き合える存在でありたい。
空き家問題とは、結局、人の心の問題なのだと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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